スペースワールド(Spaceworld)

2018年1月1日午前2時で惜しまれつつ閉園した「スペースワールド」。そのテーマ性から苦戦を強いられることもあったが、テーマを最後まで貫いた矜持のある施設でした。

視察履歴

なくなるよ!! (2017年7月26日)
密やかな(?)20周年(2010年4月6日)
やや大人向け、一人でも楽しめるスペースワールド(2002年2月24日)

動画内容の文書起こし

昔、まだ元号が平成と言われた時代に、九州は福岡県、北九州市に「スペースワールド」というテーマパークがありました。

平成2年に、それまでユニバーサルスタジオの候補地にもなったことがある、新日鉄の工場の跡地でスペースワールドは誕生しました。

開業時の最寄り駅はJR九州の枝光駅。ここから徒歩15分ほどの距離でした。

その後、スペースワールド駅が開業して、施設の目の前が駅になりました。

敷地の中には、スペースシャトルの実物大模型があり、一日に数回煙を上げて発射するイベントがありました。

西日本では施設独自のキャラクターショーがある最初のテーマパークでもありました。

パーク内のアトラクションは星や宇宙を連想させる名前で統一されており、宇宙のことを学習できる宿泊棟もありました。

初年度は185万人と、当時の西日本では最大の入場者数を誇るテーマパークでした。

施設の目新しさ、九州で初めての大型テーマパークは多くの周辺居住者の興味を引き、西日本を商圏に多くの人が訪れる施設となりました。

しかし、当時は東京ディズニーランドを筆頭に遊園地やテーマパークはアトラクションの設置競争を繰り広げている時代、

スペースワールドもその荒波に飲み込まれ、開業後も毎年のように新機種を開業させていきました。

入場者数はその後は右肩上がりで増えていきましたが、度重なる機器の投資は会社の経営に大きく負担を強いるものでした。

入場者数は1996年の216万人をピークに、徐々に減少に転じます。

1992年に長崎県にハウステンボスが開業し、テーマパークとしての唯一性が失われてしまったこと。

さらに九州内の遊園地施設もアトラクション機器を逐次投入して集客の挽回を図ってきたことが原因でもあります。

そして、長期間に渡って顧客の来場意欲を保ち続けることが難しい「宇宙」がテーマであったことも響いておりました。

2001年に大阪にユニバーサルスタジオジャパンが開業すると、今まで独占状態だった西日本地域の顧客が流出を始めます。

こうして、2005年にスペースワールドは民事再生法を申請して、事実上の倒産となりました。

その後、レジャー施設の運営で大きな成功を収めている加森観光が新しい経営会社となり、スペースワールドは再建に向けて再出発するのでした。

まずは、日本初登場の大型アトラクションが導入されます。

その名もマグナムブースター「ザターン」。

油圧式のカタパルトで急加速されたライドは65メートルの高さまで垂直上昇、その後一気に垂直下降するというものでした。

経営が加森観光になって、運営には変化の兆しが見えるようになりました。

それまで他の遊園地のライドと同じような運営をしていたアトラクションでした。

スペースワールドでは他の遊園地にあるようなライドでもスタッフによる演出が加わるようになりました。

機器のハードはそのままですが、アトラクションの名称が変わり、新しい運営方法は顧客の興味を再び引き始め、2007年に集客の増加に転じました。

その後はアトラクションの演出が面白いパークとして九州内と中国地方西部を中心に順調に集客を取り返していきました。

当時はユニバーサルスタジオジャパンの業績不調などがありました。この反動を恩恵にしながら多くのファンに愛される施設となりました。

2007年には九州では設置している施設が少ないスケートリンク「フリージングポート」が開業します。

屋内に設置して通年営業するため、夏の時期でもスケートが楽しめるという施設でした。

しかし、この年にメインアトラクションであった「タイタンV」が運営中に負傷者を出す事故を起こし、以降しばらくの間運営できない状態になります。

それでも2008年にはそれまで子供遊具エリアとして利用されていた場所を改装し、本格的なプールエリア「ミューナ」が開業します。

これによりスペースワールドでは夏にプールを楽しんだ後に、スケートも楽しめるという内容が盛りだくさんな施設になりました。

開業20周年の際には、それまでステージを中心に活動してきたキャラクターが登場するパレードなども実施されました。

従来からあるアトラクションに加えて、キャラクターショー、プールやスケートなどの体験施設など様々な楽しみ方ができるスペースワールドは多くの顧客を魅了し続けました

一時期、スケートリンクは廃棄された魚を氷の中に埋め込み、「氷の水族館」として営業する期間もありました。

廃棄された魚を氷に埋め込んで顧客に見せることが、ネット上を中心に非難を浴びることになりました。

しかし、数々の不祥事を乗り越えて、2016年にスペースワールドは過去最高の利益を達成したのでした。

何度も、危機的な状況に追い込まれながらも、不死鳥のように立ち直ってきたスペースワールドでしたが、2017年になって衝撃的なニュースが流れました。

2017年の年末をもって閉園することになったのです。

スペースワールド側の説明では、レジャー環境の多様化による施設の魅力低下や、全国的な少子化の進行、主要商圏の北九州市の人口減少などが原因とされました。

また、一部の報道では土地の所有者の新日本製鉄と運営会社の加森観光の間での賃貸契約交渉がうまくまとまらなかったことが原因ともいわれました。

スタッフが整列して「なくなるよ!全員集合!」と呼びかけるCMは商圏内にとどまらず、全国のテーマパーク愛好家の注目を浴び、施設は活気を取り戻しました。

最終年度は入場が制限される日もあるほどの人気となりました。

そして、2018年1月1日午前2時、2017年のカウントダウン営業を終了したスペースワールドは27年間の生涯を閉じることになりました。

スペースワールドのライド機器は、一部は他の施設へと移り、今も利用されています。

「またいつか、別の星で会いましょう」が最後の挨拶の言葉だったスペースワールド

テーマを作り、テーマに泣き、テーマを育て、テーマを貫いた、スペースワールド

これほどまでに、華やかに、感動的な閉園は、日本のレジャー施設の歴史上に類を見ません

現在、その面影を知ることができるのはJR鹿児島線の駅名だけになってしまいました。


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