向ヶ丘遊園(MukougaokaYuen)

小田急電鉄運営の遊園地。花壇が地元では有名でしたが、アトラクションのハイスペック化傾向についていけず閉園となってしまった施設

視察履歴


閉園決定のニュースを聞いてきました
 (2001年10月22日)
プールを見に来ました (2001年7月14日)
子供の時以来の来訪でした (1999年8月21日)

動画内容の文書起こし

昔、昔、

今から20年ほど前の神奈川県は川崎市、宮前区に向ヶ丘遊園という大きな遊園地がありました。

1927年に親会社の小田急電鉄の開通とともに誕生して、1970年代には沿線沿いの住民を中心に多くの人で賑わっておりました。

特撮技術で世界的に定評がある円谷プロダクションの撮影スタジオから近いということもあり、昭和期のウルトラシリーズにはロケ地として何度も利用されておりました。

ウルトラQ、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン

放送時には高視聴率を連発したテレビ番組に何度も登場しておりました。

遊園地最寄りの小田急線の向ヶ丘遊園駅より、施設の入口前まではモノレールが通じており、遊園地の行き帰りの子供達には大変好評でした。

向ヶ丘遊園は花のテーマパークとしても有名でした。

改札を抜けた先にある大階段の花壇の中にある花時計は、四季を通して様々な花がその色彩を競っておりました。

向ヶ丘遊園の園内は大きく分けると3つのエリアがありました。

遊戯機器エリア、フラワーガーデン、プールエリアです。

プールは夏時期しか営業しませんが、遊泳プールと流れるプール、スライダーなど夏のレジャープールに必要なものは最小限揃っており、多くの家族連れで賑わいました。

プールエリアは改札を抜けた後に、階段の途中で園内とは通路が分岐しており、遊戯機器やフラワーガーデンを同時に楽しむことは構造上できません。

このため、プール内では飲食店舗などが繁忙時期には大変混雑しました。

今のようなお洒落な食べ物などは特にありませんが、ラーメン、カレーといった遊園地の定番商品を味わうことができました。

遊戯機器のエリアは、改札を抜けて階段を登り詰めた丘の上にありました。オリジナルのアトラクションと言われるものはなく、遊園地の定番機器がエリア内には多数配置されておりました。

機器の数は全部で20機種。多くの機器は子供向けに作られたものであったため、若いカップルにはちょっと物足らない感じで、小学生以下の子供を連れた家族が利用することが多かったようです。

屋外の施設が大半を占めていた向ヶ丘遊園ですが、レゴやプラレールという子供向けの遊具を集めた屋内施設もありました。

季節ごとに利用できる遊具を入れ替えたりするなど、飽きが来ないように工夫されていました。

円谷プロダクションのロケ地として使われることが多かったこともあり、円谷プロダクションの作品である「怪獣ブースカ」のエリアもありました。

一日に何度かブースカが登場して、写真を撮ったり、握手をしたりすることもできました。

そして、フラワーガーデン。

今でこそ、ハウステンボスや東京ドイツ村など植栽で誘客する施設は多数あります。

しかし、この時代は遊園地は遊戯機器がどれだけ充実しているかが、施設の評価に直結していた時代です。

ある意味フラワーガーデン時代は、先駆的な施設で後のテーマパークの植栽配置には影響を与えたかもしれません。

花は、バラ、蘭、チューリップなど季節に合わせて咲く花が変わり、花に囲まれたフラワーガーデンは家族でお弁当を食べるには最も良い場所でした。

向ヶ丘遊園の商圏内の住民は、その多くが高度経済成長期にマイホームを手に入れた人が多く、自宅の庭を手入れする際に参考にしていた人も多くいました。

このためフラワーガーデンは高齢者が写真を撮るために利用するという使い方も多くみられたそうです。

小田急線の沿線は高度経済成長期に団地が建設された場所が多く、利用者も多い鉄道路線でした。

このため無理に事業を拡張しなければ、一定の利益が上がる施設だったはずです。

しかし、1983年に東京ディズニーランドが開業すると、関東の遊園地は大きな打撃を受けます。

向ヶ丘遊園にとって大きなダメージだったのは、それまでは日本に存在しなかったフリーパスの登場だったと思われます。

元々遊戯機器は建設費を賄えるように一回当たりの利用料金を設定します。

これがフリーパスになれば同じ機器を何度も利用してもらえるようになるというメリットはあります。

しかし、一回当たりの利用金額は個別に利用した場合よりもかなり下がります。

加えて、東京ディズニーランドが開業する前からあった遊園地の多くは、飲食施設や物販施設を重視しておりません。

遊園地は家族がお弁当を持っていく施設と考えられていたからです。

また、向ヶ丘遊園のように近隣からの集客が多数を占めている施設では、あえてお土産を購入して買えるという客層も少なかったはずです。

このため東京ディズニーランドのようにフリーパスでアトラクションの利用料料金を低く抑えて、

その分を飲食や物販で稼ぎ出すというモデルが通用しなかったことが経営的に悪影響だったと思われます。

2000年にはそれまで駅と遊園地を結んでいたモノレールも老朽化により点検時に大きな問題が見つかり営業休止。

その後は客足が離れていくことに歯止めがかからず、ついに2002年の3月に閉園となりました。

閉園後はフラワーガーデンの存続を望む人も多くいましたが、計画は何度かとん挫して現在は敷地の一部にその面影を残すのみになっています。

唯一施設の存在が確認できるのは、駅名だけということになってしまいました。

 

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