わかりやすくてマニアック!!岡山城の監修の先生に感謝!!
NO.530
岡山城
日時 2024年 1月26日
いよいよ今日は帰宅の日ですが、思いのほか鷲羽山ハイランドが短い滞在で終わったのでちょっと空き時間ができました。このまま帰るべきか・・・とは微塵も考えておらずもう一つ見に行けるところはないかをバスの中で検索したところ「令和の大改修完了」、「監修磯田道史」という文字が躍る岡山城がヒット。
自分の大好きなNHKの「英雄たちの選択」のメインMCの磯田先生がどんな監修をしたのか?さっそく児島駅から特急南風号で移動。
あんぱんまん列車で車内はちょっと気恥しい感じでしたが20分程で岡山駅に到着。岡山は乗り換えで何度か降りたことがある程度で土地勘はありません・・・。
幸い、駅の改札前には大きな案内が出ておりました。路面電車で「城下」まで移動します。
城下電停から地下道に潜って交差点を通過して地上に戻ります。
地上に出るとあれこれたくさんの案内が表示されています。お城のある街は大抵お城近辺に美術館とか博物館ができるというのはよくあることですが、岡山城の周辺も同じような感じです。
案内に従って川沿いを歩くと・・・。遠くにお城が見えてきました。駅から結構近い場所ですね。川を挟んだ反対は日本最大庭園の一つ「後楽園」。こちらはまたいつか・・・。
お城の石垣の周りを歩くことしばし、お城につながる門が見えてきました。こちらの門は廊下門。門の上は廊下があり城主が邸宅と天守を行き来するのにつかわれていたことが名前の由来だそうです。
廊下門はどちらかというと裏口。表門は廊下門を右方向に回った先にある目安橋という橋を渡った先の「不名門」のようです。
ちなみに目安橋という名前はこの橋の傍に「目安箱」が設置されていたことが名前の由来とのこと。こうした細かいところもちゃんと説明しているのが磯田先生の監修力でしょうかね?
マニアックな石垣の解説を見ながら、階段を登ります。緩めの傾斜で助かります。
階段を登りきると広い空間に出てきます。ここは城主の邸宅があった場所だそうです。明治維新や戦争などでなくなってしまったのですが、地面に境界がわかるようになっています。
それぞれの場所に何があったのか?説明文があります。櫓についても細かい説明があります。
ほとんどの櫓は跡地だけなのですが、一つ残っているのが「月見櫓」。1620年に建てられたものです。創建当初のものかどうかはわかりませんが・・・。
二か所ほどですが、発掘された昔の石垣なども見れるようになっています。
そんな広場のようになっている空間を進むと、正門(?)の不名門に到着します。こちらは昭和41年に再建されたものだそうです。自分と同い年・・・。
門を抜けてまた階段・・・。登った先に天守が見えてきます。天守の前はどこのお城でもちょっとした庭園みたいになっていますがここも例に漏れず。
この庭園の端にはライトアップ用にLEDやボランティアガイドの詰所など現在に必要な機器が設置されています。
傍まで行くと迫力ありますね。このお城は宇喜多家、小早川家、池田家と受け継がれてきたそうで、豊臣秀吉に傾倒していた宇喜多秀家の時代に大阪城を模したそうです。
お城の下からさっそく中へ・・・入口はお城の中では地下1階になるそうです。
流石改装されたばかりの施設ですね。綺麗です。チケット売場は対面式。新しいところは自販機入れるところが多いのですが、岡山城は対面式。案内の人が館内の回り方などを教えてくれました。
まずは地下1階を見ます。ここはオリエンテーションのエリア。岡山城の概要が理解できます。それを見たら一気に最上階までエレベーターで昇ります。天守部分は階段で昇るのでエレベータで5階まで上がり、6階の天守へ・・・その後下りながら見ていくのが順路だそうです。
岡山城は宇喜多直家(秀家のお父さん)が築城して、宇喜多家のお城でしたが関ケ原の戦い後、小早川秀秋が城主になり若くして没した後は池田家が引き継いだという歴史があるようです。
さて案内に従ってお薦めルートで進みます。まずはエレベーターで5階へ。そして綺麗な階段を登ると天守に到着します。
最上階は一周しながら天守からの景色を見るだけ。
この階は「華頭窓」という創建当時の窓枠が再現されています。
眼下には後楽園も見えます。ぐるっと一周したので一層下がります。
5階は築城と城下の開発についての展示エリア。宇喜多直家の時代と池田光政の時代の話。池田光政の時代に川を分流したことで、以前あった豪雨の際に岡山市内は守られたそうで、先人の知恵というのは偉大ですね。
鯱なども展示されています。屋根に着いたものを見るのとはまた違った雰囲気です。大きいものなんですねぇ・・・。
実際に屋根についているものも近くで見ることができます。火災から建物を守るために設置されるんだそうです。
一層下がって今度は4階。ここからは戦国時代の話で宇喜多秀家の登場です。
岡山城が現在の形になったのが宇喜多秀家の時代だそうです。お母さんは女城主だったという説もあり、織田信長や豊臣秀吉との関係構築が大変だったそうです。
さらに一層下がって3階が「それぞれの関ケ原」というエリア。宇喜多秀家は関ケ原の合戦の前に大きなお家騒動があって家臣が多数離反する事態になってしまい、その後参加した関ケ原では敗北。本来ならば斬首となるところですが、八丈島に流されることで一命をつなぎます。そして八丈島で84歳まで生き続けたという人です。
関ケ原の戦いに参加した武将で最も長寿だったそうです。
関ケ原の戦いと言えば、小早川秀秋の寝返りと小学校のときに歴史で習ったのですが、近年の研究では元々徳川方に加担する意思があったそうです。
そうなると関ケ原の戦い前の伏見城の戦いに何故参加したのか?という疑問もありますが、裏切者という解釈は江戸時代に徳川家の威厳を高めるための話であったというのが最近の研究らしいです。
そんな小早川秀秋ですが、岡山城の城主となってすぐに病没してしまうため、展示エリアでは岡山に来る前の話も多くみることができます。
さらに一層下がって2階。こちらは池田家の展示エリア。関ケ原の戦いの先んじた岐阜城攻略、関ケ原の戦いでは毛利軍を抑えたという功績があるのが池田輝政です。
そして小早川家の跡に城主となったのが池田輝政の息子の池田光政。この時代に治水工事などを積極的に進めたそうです。
甲冑に刀剣など歴史にマニアにはたまらないコレクションもここで見れます。
これまで展示案内で見てきたものをまとめた映像シアターもあります。宇喜多、小早川、池田と3時代の話を見ることができます。
そして1階へ。こちらは体験コーナーがたくさんあります。
火縄銃や日本刀の重さを体験できます。更には磯田先生のマニアックな解説も見ることができます。
そして、大名が移動するときの駕籠。他の施設とちょっと違うのはその隣に携帯トイレ(おまる)があることです。
更には戦国時代の日本人男性の体型についても展示があります。今と比べるとずいぶん小さかったようですね。
馬に乗ってのフォトスポット、和装体験コーナーもあります。この辺りは令和の改修後ならではの施設ですね。
もう一層下がって地下1階。最初に乗ったエレベーターの裏手が塩蔵。
そんなに大きくはありませんが、物販店舗もあります。
そしてトイレもこのフロアです。上の階層にはトイレがありませんので近い方は最初に済ませておいた方が良いです。
監修の磯田道史先生のわかりやすくもマニアックな解説のおかげで色々と勉強になりました。
時間にして2時間くらいです。最初に最上階に登ったことで割合楽に見ることができます。新しい岡山のシンボルとしてこれからもたくさん人が来ますように・・・。
岡山城(おかやまじょう)は、備前国御野郡岡山(現・岡山県岡山市北区)にあった日本の城。国指定の史跡。別名は烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)
TEL | 086-225-2096 |
住所 | 〒700-0823 岡山県岡山市北区丸の内2丁目3-1 |
URL | https://okayama-castle.jp/ |
入場料 | 大人 400円 小中学生 100円 幼児無料 |
開園時間 | 09時00分~17時30分 季節により変動あり。年末は休み。 |
アクセス | 岡山路面電車「城下」より徒歩10分 |
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